奴らの思い通り

今までを振り返ってみると、「あの人たちから言われた通りになってるな~」と思うことがある。

高校生の時、指導教員から大学の志望校を決めるときに
「お前はここか、ここやろ」
と言われた通りの大学に入った。

その大学を第一志望にした訳じゃなく、興味ある学科を上から順に受けた結果、そうなったのだ。

合格発表が終わり、進学する大学が決まった時に思い出したのは「あいつの言う通りになったな」ということだった。

ちょっと悔しくて恥ずかしかった。
もう少し上を目指したかった。
でも結果的にその大学に通うことになった。
さすが指導教員だ、と今なら思う。
そしてそれに反発するほどのやる気もなかった自分も情けない。
このころの精神が今も続いている。

昔仲の良かった友達に
お前は将来、タバコ吸うよな~
と言われた。
当時は別に吸おうとも思ってなかったし、そうなるとも思ってなかった。
今その通りになって、1日数本吸うのが習慣になった。
何気ない言葉だったと思う。私も何気なく聞いてた。
思い出しているのは「あいつの思い通りになったな」という変な意識があるからだろう。
今はもう会わない彼はきっと元気だろうな。


父親に仕事を辞めるとき、自分が何をしたいのかわからないと言って喧嘩をした。
22才にもなって、反抗期みたいな喧嘩をした。
その時に言われたのが
「お前は自己中心的だ!なんかの下っぱでもしろ!」
と言われた。
いま私は劇団のチケット売りをしている。
何をしたいのかわからないと言いながら、私は演劇をしたかった。
それで結局、劇団のチケット売りと言う下っぱ中の下っぱをしている。

実際に言われた通りになっている。
それが嫌とか困ったという話ではない。
自分で選択してそうなったのだから。

ただ何か「してやられた感」がある。
私を見透かされて未来予知されたような気分になる。
そこに彼らの優位性を感じてしまう。
それが私の自意識のどこかで反発している。


一方で思い通りにならなかった言葉も多い。
「陶芸家にでも弟子入りしろ」とか
「変なAVにでも出るんじゃないか」とか。

今のところこれらの予定はないし、たぶん今後も無いと思う。

全てが思い通りになることなんて、ないんだよな。

自分の未来予想はことごとく外れる(意思の弱さから)ので、他人の未来予想でもしておこうかな。

いまこれを読んでいる人は、3~5年後くらいに居酒屋で隣に座った人と仲良くなって、苺狩りに行って、次第に家族ぐるみでの付き合いを始めて、夏には年に1回バーベキュー海水浴をするようになるだろう。

もしくは
1年以内に自己啓発本を買って「自分を知るためのノート」を一回実践した結果、飽きてその本をブックオフに売るだろう。

外れても当たってもあなた次第。

上を見てもキリがない下を見てもキリがない

ネットサーフィンをしていると、とんでもなく沢山の人が生きていることを知る。
いまや、ほとんどの人がネットの中で生きているから当たり前だよね。
その中にとんでもない化け物がいる。

顔面偏差値、学歴、SNSのフォロワー数、文字数
etc

浅いネットサーフィンではこの種類の人たちが溢れている。キラキラしていて、自信に満ちていて、人生謳歌しているのを感じる。面白いことを書いてるし、素敵だなと思う。

でも、何か足りない。
それは私が眺める立場だから。
対等な位置から、その景色を見ることができない。

その中に自分の人生負け組論を武器にして戦う人がいる。

ブラック企業に入ってみた、ブスなのに全てを手にした、ニートから一発逆転、、、

この人たちも今や多くの人に支持されて、キラキラ側の人間だから上なんだけど、それが適度な距離だとなぜか親近感がわいて面白くなるんだよね。

負の部分を見せられると、人は少しだけ受け入れたくなる。


こんな自分でもいいんだ。
ダメなところもさらけ出して武器にしてしまえばいいんだ。

なんて思えてくる。
でもどんなタイプでも本当に大切なのは、
ダメなことをただそのままにしないで、
受け入れる努力をすることなんだよね。

どこに行っても行きつくところは「努力」「行動」

これさえ出来れば人生ハッピー説すら感じてしまう。

私も上か下かでいうと、下寄りの負け組なのでせめて「努力」と「行動」はするべきだよね。

とりあえず、私は寝すぎなのでもう少し体を起こしている時間を多くして、外に出ることから始めたいと思う。

アイ アム ゴッド チャイルド

いまやメンヘラ歌手ナンバーワンになってしまった鬼束ちひろは中学時代、私の救世主だった。
騒がしい教室の中で、1人寝たふりをしていた私の耳にこっそり繋がれたイヤホンからは、鬼束ちひろが流れていた。
寝る前には必ずアルバムを1枚聞き、心が浄化されるような彼女の声を祈りの中で聞いた。

出会いのきっかけは小学校最後の春休み。
中学受験をした私は無事合格し、今までのご褒美として家に篭ってゲームしたり、ドラマを見たりしていた。

その中でも一番時間をかけて見ていたのがtrickだった。
鬼束ちひろの「月光」はドラマtrickの主題歌で、当時trick狂いとなっていた私はもれなく鬼束ちひろ狂いにもなっていった。
繊細で壊れそうな強さ。
なんて儚い歌なんだろう。

アイ アム ゴッド チャイルド

とんでもない歌詞だけど、彼女が歌うと本当にきっと神の子なんだって自然に思った。
アイ アム ゴッド チャイルド
私も口ずさんでみる。少し自分には大げさすぎて恥ずかしいから、小さな声で。
宝物のような人を見つけてしまったことを、誰に言うでもなくこっそり大切にしていた。

小学校の春休みも終わり、いよいよ中学校に入学した。そこは自宅から1時間ほど離れた学校で、いわゆる田舎の進学校だった。
小学校時代の友達は1人もおらず、全く新しい環境に放り込まれた。

新しい友達の作り方は小学校に上がる時の6年前の記憶だよりだった。でも、そんなこと忘れてしまっている。さらに春休みに家に篭ってゲームやドラマを見ていた影響もあり、挙動不審の塊になっていた。

その結果、新しい中学校で隣の席に座った子から「好きな歌手って誰?」という定番の質問に、求められる答えを言えなくなっていた。

「好きな歌手は?」
鬼束ちひろ、でもきっとこの人は知らない。
「好きな芸能人は?」
鬼束ちひろ、今はその人以外興味ない
「好きなドラマは?」
trick、あぁでもちょっと前のドラマだから反応がいまいち

そこでふと気付く。あれ、私ってまじで鬼束ちひろのことしか考えられない人じゃない?友達から勧められた音楽一ミリも興味なくない?ジャニーズ?なにそれ。RADWIMPS?なにそれ。若手俳優?なにそれ。

これ、友達作るの無理っぽいぞ。

思い返せば小学校の友達と話していた時も大抵適当に相槌を打ったりしていた。
あと休み時間は鬼ごっこ
外で走ってるから、話題とか関係ない。
でも高学年になるにつれて女の子は教室で過ごすようになって、とても困ったんだった。

どうしよう、これから。

友達が欲しくない、わけじゃない。
でも興味ないことに興味は持てない。
反対にこの人たちが鬼束ちひろを好きになるとは思えない。
それを乗り越えられるコミュニケーション能力は無い。

こうして教室で一人、鬼束ちひろを聞きながら寝たふりをして過ごす日々が始まった。


「アイ アム ゴッド チャイルド
この腐敗した 世界に落とされた」

次第に自分に言い聞かせるように聞く。
そうだ、私は神の子なんだ。こんなに騒がしくてバカみたいな教室は、なんて汚いんだろうな。なんて愚かなんだろうな。


「どうやって生きていけばいい?
こんな思いじゃどこにも居場所なんてない」


私がもっと柔軟なら。皆と同じようなものを好きになれたら。すんなりと共感できたら。それが出来ないのを呪ってる私は、誰とも友達になんかなれない。


ほとんど宗教的にのめり込んでいったんだと思う。
教室での孤独を埋めるために、鬼束ちひろの精神世界に飛び込んでいって、彼女の感覚を想像する。
そうしている瞬間は教室と切り離されて、きちんと清浄な空間にいられる。どうにか正常な自分を取り戻せるのは、鬼束ちひろのおかげだと思ってた。

確かに1年くらいは、本当に友達がいなくて孤独だった。
でも学年が変わり、クラスメイトが変わる中で私に友達ができた。
自然とほかの音楽も聞くようになり、テレビや漫画も興味を持つようになった。

鬼束ちひろの精神世界に行く頻度はだんだんと減っていった。私にとって必要でなくなったからだ。


そしてふと思う。
彼女は本当に、私の救世主だったのかな?

彼女の世界に飛び込んでいた私には、どう考えても話しかけずらかったと思う。私も人との交流を望まなくなっていた。孤独と友達になって、鬼束ちひろの世界に行けることが楽しかったんだと思う。そう思うと救世主というより悪魔的だな。悪魔的に魅了して、どこまでも深く潜り込んでくる。

そして大学生になった頃、鬼束ちひろは本当に悪魔的になってしまった。見た目は毒々しくなり、暴力事件に巻き込まれ、バラエティーではヤバい人認定。
変化ぶりは心底悲しかったけど、心のどこかでそうなる気がしていた。心が繊細すぎて壊れてしまうような、そんな不安定さが魅力だった。いつか壊れるのは明らかだった。それでも、悪魔的になった鬼束ちひろは私の心をえぐった。どこか無理をして強がっているようにも見えて、痛々しかった。

それからしばらくして私は初めて鬼束ちひろのライブに行った。どんな風に変わってしまったのか実際に見たかった。もくしは、変わっていないことを確かめたかった。

小さなライブハウス、後藤まりことの対バン。
客のほとんどは後藤まりこ目当て。
鬼束ちひろの歌声は変わっていた。客の大半がナニコレ状態。かろうじて歌う月光が場末のスナックみたいだった。悲痛だった。鬼束ちひろが歌い終わり、後藤まりこがミニスカートでパンツ見せながら客の上へダイブする頃、私はひっそりと会場を出た。

そこに鬼束ちひろがいた。
物販に、鬼束ちひろが座っていたのだ。
元わたしの救世主、現悪魔的クレイジーシンガー。

思いもよらないことに動揺する。
まさか物販に出てくるなんて、思わないじゃない?
間近で本人を目にすると、さっきまで場末のスナックと言っていた自分はどこかに飛んでいった。

とにかく、彼女と話がしたい。

買うつもりがなかったマフラータオルを買った。
「サインしようか?名前は?」
と聞いてくれたので、サインしてもらった。なんだか恥ずかしくて本名が言えなくて、当時のSNSで使っていた名前を言った。

ありがとうございます。ずっと好きでした。これからも頑張って下さい。

複雑な気持ちで、そんなようなことを言ったと思う。そうしたら、
「最近悩んでいることはある?」
と聞かれて、へ?となった。
少し悩んだ結果、大して悩んでいることもなかったので、最近は大丈夫です。と答えたらいいね~と言って
「お幸せに。UP↑」
と書いてくれた。
まさか鬼束ちひろに「お幸せに。UP↑」と言われるとは思っていなかった。むしろ、私が鬼束ちひろに「お幸せに。UP↑」と伝えたいくらいだった。

そこにいたのは、紛れもなくシンガーで1人の女性だった。救世主でも悪魔でもない、優しい女性。
初めて会った人に悩んでることを聞いて、幸せを願ってくれるような優しい女性。

私は最後に図々しく、一度抱きしめてもらった。
本当は私が抱きしめたかった。
ずっと壊れそうな彼女を励ましたかった。

私は鬼束ちひろが本当に好きだったんだ。

孤独になっても、変わってしまっても、失望しても、世間の評判がどうでも。

I am god child.
この腐敗した 世界に落とされた
How do I live on such a field.
こんな思いじゃ どこにも居場所なんてない

歌うことで彼女は自分の場所を作って、誰かの居場所になって、何かを必死で守っていたんだと思う。
その何かは私にとって大切で、きっと居心地がよかったんだ。

優しい人が傷つきすぎないように。
傷が癒えるように。
痛みを代弁して涙を流すような。
少しでも良くなるように。

鬼束ちひろはそんなことを歌っている。

ファイティングポーズ

最近、気付くとファイティングポーズしてる。
手をグーにして両手を突き出して歩いてる。
たまに辺な顔でみられる。そりゃそうだ。

それをしてるときは、大抵帰り道で妄想してるか何か建設的っぽい気分の時。

家に帰ったら、料理作るぞ!掃除するぞ!とか思ったりしてる。

でも不思議なのはベットの魔力で、吸い込まれるように横になって、東海オンエアを一気見していること。

さっきまでの戦闘意識はどこに行ったんだよ。
そのまま3時間とか経って、さあ寝ようの時間になって、中途半端なまま寝てる。

どうにかして、家の中でも戦えるメンタルが欲しい。もしくは敵。
強い敵だとやられてしまうので、スライムLv1かポッポLv3くらいでお願いします。
そんでもって、あわよくば仲間になっていただけると幸いです。

未来の前にすくむ心~

フリーター・24才・独身。
1年前まで正社員していた頃の貯金が少しずつ減っている。
周りは社会人3年目。輝いて見える。
1年で社会の荒波から全力で逃げて今も逃げ続けてる私が、
明るい未来の展望を簡単には持てない。

時間があるとYouTube見るか寝るかの典型的半ニートみたいな生活。

そんなときにふと、YouTube千と千尋の神隠しの「いのちの名前」が出てきた。

未来の前にすくむ手足が~♪

その後に続く歌詞は全然自分の状況とかに合ってないし、そもそも聞く前から24才フリーター向けの曲じゃないことはわかってた。

でも、なんでだろうね。このフレーズだけ妙に心にグサグサ刺さった。

同時に思った。
私、いつまで未来の前に立ちすくんでんだろなって。

そう感じるのが高校生だったらよくわかる。
大学生もわかる。
でも大人になったはずの私には、未来の話を彼らと同じ土俵で話せない現実がある。

確かに感じているのは未来への戸惑い。
このままでいいのかなっていう迷い。
一体いつになったら未来に戸惑わない「完璧な大人」になるんだろうな。

フリーターの私がしっかりとした大人じゃないことはわかる。
でも正社員だった頃、不安がなかったわけじゃない。
あのまま3年、4年、その先ずーっと同じところで働いてても不安だった気がする。

その時その時で自分の道を選んできているはずなのに、どうしても自分の人生を決めきれない。

そもそも決めたつもりでも、脱線したり上手く行かないことの方が多い。

こんなことをちゃんと働いてる友達に言うと、同じように感じている人が結構いることに気付く。

あれ?え、なんでよ?ちゃんとした大人やってるじゃん。

って思うのと同時に、そんなに覚悟を持って自分の人生選択してる人っていないことを知る。

自分の人生は自分で切り開く。
とか
ありのままの自分
とか
もう自己啓発本やらコラムやらで山のように見るアレを実践する人って、少数なんだろな、、、。


とりあえず、そんなことを思っていてもしょうがないし、立ちすくむ風に怠ける自分を記録してみよう。
これこそありのままの(クソみたいな)私だ!!

これからどうぞよろしくお願いします。